01 新住民・在住民交流が活発な街へ

土地・建物が安く、天候も温暖、東京・南北房総半島・外房等アクセスも良く地方自治体には珍しく移住者が増え 人口も増加傾向です。ただ移住者の大半を占める30代の満足度が全世代の中で一番低い状況です。 主な理由として、店舗・レジャー施設の少なさ、引っ越して来た後の近所付き合いの疎遠化等が目立ちます。 これら課題を憩いの場を提供し解消して行きます。

■ 空き地の開放

袖ケ浦市には昔からある豊富な自然が手入れが行き届かなく、荒れ果て、整備されないまま草木が生い茂り、 日に当たらない所は朽ちている所が少なくありません。神社の周り、昔からある大きな屋敷の一画等です。 この様な土地を公園、キャンプ場、バーベキュー場、ドッグラン等で新住民、在住民、近隣家族、子供達等が自然に触れ、 地域のコミュニティの場と化し『憩いの場』として活用促進します。

02 新住民・在住民交流が活発な街へ

人が集まれば特色が出来、その街独特の文化が発生して行きます。その文化は人々の心を豊かにし生活に張りを与えます。 袖ケ浦市は移住者の割合が増えており特に30代・40代の割合が特出しています。子育て、仕事に忙しい年代でありスポーツ、 文化等により生活にメリハリ・色を提供したいと考えています。

1. 施設の有効活用

袖ケ浦市には市民会館隣の競技場、4つの市民会館、袖ケ浦臨海公園など多目的活用場面があるにも関わらず 大きな大会、氣志團コンサートを除き殆ど有効活用されていません。 そこでイベント会場、交通インフラを整備し、より大きな大会、コンサートを多数開催する様、働きかけ市民の芸術、 文化の関心を高め生活をより豊かなものにします。また映画会社にも働きかけ映画の撮影ロケ地招致にも力を入れて行きます。

2. 挑戦者への支援

世の中には大きな夢を持ち、邁進しようと思っても慣れない環境への対応、金銭的欠乏から目標に全力投球出来ないまま 夢を諦めてしまう若者、挑戦者が多数います(私もそうでした…) 袖ケ浦市全体で大きな夢を持った挑戦者達をクラウドファンディング等で支援し芸術活動、スポーツ活動、起業促進の 支援を行ってゆきます。

03 歴史が大切に引き継がれる街へ

袖ケ浦市は鎌倉幕府を作った源頼朝が兵を増やし力を得て鎌倉幕府創設の足がかりを作った土地であり、当時頼朝が 祈願したとされる神社が現在も多数残っています。

江戸時代は徳川家の鷹場として活用され、明治以降の富国強兵の一役を担い、第二次大戦敗戦後は、血の滲むような努力で 復興された方々の歴史があります。近年は移住者、子供達へのこういった伝承機会が少なくなって来ています。 その伝承機会を『世代間の交流』を通して廃れない様にし伝承して行きます。

■ 市で主催する次世代に歴史を伝える世代間交流会開催の実施

・ワーク化市内にある5つ図書館における袖ヶ浦歴史・文化コーナーの拡充(本・ビデオ等)

・袖ケ浦市内各自治体に於ける『わが町ふるさと勉強会』の奨励及びネットワーク作り

04 増えつつある空き家の再活用

現在代々引き継がれて来た農家は減り、また定年退職で家を買い移り住んできた老夫婦の相続人が遠方で暮らしている為 空き家にならざるを得ないケースが増えつつあります。

■ 空き家を活用し体験用住宅、民泊提供の場にします

袖ケ浦市には空き家が増加傾向にあり現状207棟あり年々増加傾向です。 この空き家を袖ヶ浦移住検討者への体験用住宅、又はゴルフ、サーフィン等でアクアラインを通ってくる人達に宿泊施設として 提供し袖ケ浦市の良さを知って貰います。在住民の方々の使わなくなった空間の有効活用を行い国内、海外から来る方々と 交流を深め色々な見識も広げていく事も目指して行きます。

袖ケ浦に移住を求めてくる人、もてなす人それぞれが感謝し感謝され多様性を享受できる街、その様な場所を目指して行きます。

05 行政の透明化が進んでいる街へ

袖ケ浦市では財政指数が浦安、成田に次ぐ3番目の財政の良さを誇っています。

然しながら道路の騒音・振動が未だに多く、新型コロナウィルスの被害にあっても思い切った財政出動が出来ずにいます。 市民は市の財政がどの様に回っているか市のホームページでは見る事が出来ますが素人目には理解が出来ないのが現状です。 また転居に必要な書類は未だに対面窓口となっており働いている方々は中々行きにくいのが現状です。

1. 分かりやすいホームページの更新、市民向け財政説明会の実施

現在市のホームページは文字と数字が若干分かり難くなっています。これを素人目にもわかる様に画像、動画を使い 各予算の配分の理由を丁寧かつ簡易に書き直します。企業が行う決算発表会の様に市民との質疑応答の時間を設けます。 そして市民に理解と信頼を得、積極的に自分の税金がどの様に使われているのかが子供でも分かる様にして行きます。

2. 各種書類の電子申請化への移行

これまで行政機関への申請や届出には直接窓口へ出向き手続きする必要がありました。 然し平日仕事をしている人達は会社を休むか半休を取って行かなければなりません。 そこで公的個人認証サービスによる電子申請を利用可能することで、これまでの窓口での 手続きに加え、自宅のパソコンから行政機関に対してインターネットを利用した電子申請や 届出が出来る様にする事によって手続きの煩雑さを改善して行きます。

06 観光資源の有効化が進む街へ

袖ケ浦市は年々市街化する一方で他の都市には見られない海・川・山が今でも美しい状態で保存されています。 都会から1時間程度のこの場所でカブトムシ・クワガタ等の昆虫採集、6月になるとホタルが光出します。 海に面する海浜公園近辺は潮干狩り、釣りを楽しむスポット等沢山あり公園に続く沿道にはヤシの木が開放感を添えています。 この様に北側には『海』が広がり、南側には『豊かな山林と田園風景』。

一つの都市で双方兼ね備えている地の利を活かした町づくりを目指していきます。

1. 浮戸川沿いにサイクリングロードの敷設

袖ケ浦市を流れる浮戸川沿いには春には桜、菜の花、秋にはコスモス、初夏にはポピーの花を見る事が出来ます。 川沿いには農道がありますが未開拓であり砂利また雑草が生い茂っています。ここにサイクリング専用道路を築き 袖ヶ浦の南北をまたぎ四季折々の景色や富士山を楽しみながら健康増進に努めていきます。

2. 袖ヶ浦海岸沿いには海水浴場、山にはキャンプ場を敷設

袖ケ浦市の海岸は至る所にテトラポッドが敷き詰められ海で遊ぶと言ったら潮干狩り若しくは釣りくらいしかありません。 そこで家族皆でも楽しめる様、一区画には人工海水浴場を作り、他の場所には袖ヶ浦の時折吹く強い風を利用した ウィンドサーフィンが出来る様作り替えます。

07 事業継承が活発な街へ

袖ケ浦市は古くから農業で成り立ってきた町です。然しながら明治時代から富国強兵による軍事工場、 戦後は京葉工業地帯として立地の良さからメインは重化学工業に移行してきました。

法人税(=固定資産税)の殆どは重化学工業が占めています。若年層は大学・就職で都会へ流れ農業に至っては 後継者不足で存続が危うい状態です。農地は荒れ果て今まで積み上げてきた伝統・技術が継続の危機に陥っています。

1. 農業新規参入のハードルを低く

農地法では農地の最低面積を5反(50a=5000平方メートル)と決められていますが各自治体の裁量により引き下げる事が 可能です。5反のままだと大型農耕機会の購入、管理面等から新規参入のハードルはかなり高くなり農業を始めたいと思う人々も 他の市へ流れていく一方です。これを袖ケ浦市は3反まで引き下げ新規参入のハードルを下げ新しい風を入れて行きます。

2. 海外からの人材確保、海外市場開拓の支援

今後のグローバル化を見据え人材確保の門戸を海外へも広げていきます。市のホームページを見やすくし宣伝活動に力を入れ 国内の農業従事者を呼び込むと共に在留資格「特定技能制度」を活用する事によって海外からの人材も呼び込んでいきます。 将来農業従事希望者を国内のみならず海外からの人材も入口のハードルを下げ活性化していきます。

08 市民の為の医療が充実している街へ

全国の平均1万人あたり医師数は25人。袖ケ浦市はその半分にも満たない10.5人です。 1万人当たり病床数も72.1床と全国平均123床に比べてかなり少なくなっています。

小児科医師数小児人口10000人あたり8.1人と外科医、内科医共に全国平均を大きく下回り人数が足りていません。 産婦人病院は廃業になりました。そこで以下の通り特定の医師過剰労働を防ぎ、働きやすさ導入と積極的医師招致を行います。

・電話サービスによる夜間宿直日数の軽減

・快適な休憩室、当直室の確保

・診療補助者を導入し医師は診療に専念する

・短期間雇用等の人事制度の導入で就業体系の多様化

・各病院とのネットワーク化により特定医師の過剰集中分散化

・大学病院との連携により医師確保支援

・女性医師が働き続けられる様、柔軟な勤務制度の見直し(復帰研修など)

・オンライン診断の導入、促進