環境災害対策特別委員会(珠洲市_視察)
2026年7月16日10時半、能登半島空港に降り立ちました。
移動バスに乗り珠洲市の市役所がある方向へ向かう車中の中、外の風景を何となく見ていました。
先ほどから山肌が削げ落ちている風景が山肌に1つ、2つ…と初めは「土地が痩せているのか?」と思っていたら能登半島沖大震災被害は未だ2年前、1月1日だったことを思い出した。もっとその外に意識を傾けると道路は液状化で段差が見え、ところ所で道路工事中。移動の飛行機の中で調べた不幸を被った方は194名。まだまだ途上なのだと視覚で実感させられた。

バスで30分揺られ、珠洲市市役所に到着。説明を受ける委員会室に入ったら市長が自ら挨拶。途中公務で抜けられるとの事で「資料の説明は、帰ってから見ていただければよいと思います。それよりも、事前にいただいた袖ケ浦市からの質問に、私がお答えする形でよろしいですか」と泉谷市長、委員長である私はまたとない機会と咄嗟に反射的に「はい!お願いします」とお答えした。
<珠洲市>
人口 10,000人 予算規模は500億となっているが、震災前の令和5年は116億/令和5年。面積は247.20㎢である。
<地震の規模>実は能登半島沖地震が起きる1年前にも地震は起きている

最大震度はどちらも『6強』大きな違いはその継続性。2024年(令和6年)の場合、震度6が1分✖️3回である
これで水道管、道路が全てやられた。
<時系列>
16:10 発災
16:12 警報
16:22 津波警報(最大4m)
16:45 市長登庁【即座に石川県知事へ自衛隊の派遣要請/ヘリコプターの空撮要請】
17:00 日没 →ヘリコプターによる空撮が不可能に
災害当日〜3日間 道路の崩壊と液状化により通行不可(市役所への参集率は50%)
この3日間、登庁できない職員は自宅最寄りの避難所(94ヶ所)で避難支援にあたる
そしてこの震災で明らかになったのが想定マニュアルと実際に起きた災害だ。

特に3番目のトイレは管が詰まり正月3日間は裏山、垂れ流し(水を流さない)状態が続き、カオス状態が続き、4日目に職員がビニール手袋を2枚重ね泣きながら市役所のトイレ清掃を行ったと言い現場は混乱を極めました。(仮設トイレ設置まで各自治体が所有のトイレカーを利用)
飲み水に関しては、日本原料株式会社の浄水プラント(1基1億円/1日1000トン排出可能)を即座に発注。病院向けには自衛隊と協同し給水車からホースを伸ばし病院の入水タンクへ入水(透析用/毎日3回)を行ったとの事。
また幹線道路により分断された集落へは人海戦術で市長や職員が個別に知っている区長などに連絡をとり必要な措置を行ったと言う。また過疎地、市街地に関わらず助かったのが消防団。やはり地域の家庭事情などに詳しいので誰々の家は何人家族、家の構造は2階建てで寝室は2階…などと日頃の付き合い、救援物資の個別配達など共助が大変助かったと言う。
また、珠洲市は海に面しており、陸路が地震で壊滅的な被害を受けている為、海上からの輸送が助かり大量の支援物資搬入が助かったとの事。泉谷市長からのアドバイスは東京湾に面し、臨海部に多くの施設を持つ袖ケ浦市にとっても、非常に重要な視点だと感じました。
そして協定都市である浜松市からの献身的な救援は助かった模様で救援物資が運ばれた体育館で郵送するまでの(避難所ごとの)仕分け作業が大変助かったと言う。※避難所ごとの必要なリストは注文書に記入し県へ一括発注(無駄な在庫はゼロ)
また一連の流れを見ると、自衛隊の役割が大きい様に思われます。
<自衛隊が行った主な支援を挙げるだけでも>
・発災当日の1月1日16時45分には派遣が決まり、迅速な初動体制を確立
・警察・消防と共に94箇所の避難所を直接回り、発災4日目には避難状況の全容を把握
・市と連携して珠洲市総合体育館を物資拠点とし、自衛隊車両による円滑な輸送体制を構築
・道路が寸断された孤立地域に対し、ヘリコプターによる物資投下や空輸を実施
・1月6日より市内各地で入浴支援(お風呂)を開始し、避難者の生活を支援
・給水車を用い、病院の屋上タンクへ1日3往復の給水を断水解消まで継続
・バイク部隊が、患者の自宅へ酸素ボンベを届けるなどの個別支援を実施
・自力移動が困難な介護施設の入所者らを、自衛隊ヘリで愛知県などの県外施設へ広域搬送
そして市が行った復旧に向けた主な支援は
一般世帯: 住宅再建費用の1割(上限200万円)を補助
子育て世帯: 18歳以下の子どもがいる世帯が新築する場合、1.5割(上限300万円)を補助
耐震改修: 半壊程度の住宅を修理する際、あわせて耐震化を行う場合に定額300万円を補助
その他補助:農業機械や漁船の買い換えには9割補助、店舗などの「なりわい再建支援」には県と市を合わせて8割補助(県75%+市5%)を実施
今回の視察で学んだ事は、未曾有の災害が起こった場合に必要なものは、陳腐かも知れないが普段の防災意識、いざ災害が起こった場合の瞬時瞬時の臨機応変な判断、そして何より重要なものは制度や運用は自治体が行うとしても最後のラストワンマイルは地元の繋がりがなければ上手くいかないと言う事である(下敷きになった人など直接の救援、情報の共有、食糧や物資の交換・提供、行政では手が届かない個別の支援etc…)
最終的には途中退出すると仰っていた市長も最後までいてくださり、本当に為になる生の現場を見た視察でした。
この場を借りて再度、御礼を申し上げます。

